ソシャゲについての考察
かつて私も、学生時代は寝る間を惜しんでゲーム(PS2)をしていました。ですので、趣味がゲームということは別に悪いことではないと思っています。
公序良俗に反しない限り、趣味に優劣は無いというのが私の持論。日常生活に支障が無い範囲で、自分が好きなことをやれば良いのです。
ただし、いわゆるソシャゲ(ソーシャルゲーム)だけは別だと思っています。
これだけは全くオススメしません。世間ではソシャゲにのめりこみすぎて、借金まで背負ってしまうケースも発生しているとか。
それでは、ソシャゲはやめとけ!という理由を述べていきたいと思います。
まず、なんといっても課金要素(ガチャ)です。好きなことに金を使って何が悪い、という意見がありそうですが、ガチャの何が悪質なのかを考えていきたいと思います。
・必要なコストが不確定
ある作品を観たいと思い、映画館でチケットを購入したとしましょう。
そこで「どの映画が観られるかは抽選の結果次第」と言われたら、どうしますか?
ありえませんよね。
自分が見たいものをなぜ確実に観れないのか!?と怒りますよね。
ソシャゲをサービス業の一環として捉えた場合、このありえないことをしているのがガチャなのです。
望む結果を得るために必要なコストが不確定。これはもはやギャンブルですよね。
・手元に残らない
ギャンブル性があるという点では、トレーディングカードの収集やくじびき等も同類といえますが、運よく求めるモノを獲得できた場合、カードや賞品が手元に残ります。
勿論、それらの所有権はあなたに有ります。
それに対して、ガチャで獲得できるものは所有権の無い電子データです。サービスが終了すれば、それを利用する手段すら無くなってしまう代物なのです。
※電子書籍も所有権の無いデータを有償で購入することになりますが、こちらはあるサービスが終了した場合、その情報を別の業者が引き取る仕組みが慣例化されています。
それでもまだ、課金しますか?
次に、自分は課金していないから大丈夫!という人もいると思いますが、本当にそうでしょうか?
金銭面を抜きにして、ソシャゲの問題点を考えていきたいます。
・時と場所を選ぶか
例えば、趣味として挙げられることも多いスポーツは、基本的に活動時間が日中帯になり、自宅内ではできない場合が多く、さらに競技よっては一定数の人数が集まらなければできません。
そもそも、スポーツは多かれ少なかれ体力を必要とするので、無制限に続けることは不可能です。
一方ソシャゲは、いつでも、どこでも、1人でも遊べてしまいます。時と場所を全く選びません。その上、ゲームをするという行為そのものは体力を必要としないので、何時間でもプレイ可能。
つまり、それだけ制限事項が無いということは、日常生活との線引きが難しくなるということを意味しています。
・終わりがあるか
読書も時と場所を選ばない趣味だと思いますが、あまり中毒性が問題視されることはありません。その理由は、「終わりがある」ということでしょう。
どんなに長い物語もいつかは完結します。どれだけ熱中したとしても、コンテンツ自体に終わりが設定されているため、そのタイミングで区切りをつけることができます。
かたやソシャゲは、基本的には終わりというものはありません(配信終了を除く)イベントという名の下で、プレーヤーは次から次にやることを与えられます。
言い換えれば、自分の意思で終わらせない限り、誰も終わりを用意してはくれない、ということです。
ギャンブル性、所有できない、時と場所を選ばない、エンドレス。
こんな中毒的な仕組みを生み出したゲーム業界は、ある意味凄いと思います・・・ここまでくると、もはや電子ドラッグですね。
それでもまだ、ソシャゲを続けますか?
どうしてもやりたい方は、金を掛けずに、暇つぶし程度にプレイすれば被害は少ないのではないでしょうか。