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田舎で暮らし、都会で働く

職業は経営コンサルタント、通勤手段は新幹線です。

ソシャゲについての考察


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街中を見渡せば、老若男女問わずスマホゲームに没頭している昨今の日本。シンガポールでも若者が遊んでいる姿をよく見かけます。


ファミコンスーパーファミコンプレイステーション・・・幼いときからゲーム文化に触れてきているからでしょう。日本人は間違いなくゲーム好きです。


かつて私も、学生時代は寝る間を惜しんでゲーム(PS2)をしていました。ですので、趣味がゲームということは別に悪いことではないと思っています。


公序良俗に反しない限り、趣味に優劣は無いというのが私の持論。日常生活に支障が無い範囲で、自分が好きなことをやれば良いのです。

 
 

ただし、いわゆるソシャゲ(ソーシャルゲーム)だけは別だと思っています。


これだけは全くオススメしません。世間ではソシャゲにのめりこみすぎて、借金まで背負ってしまうケースも発生しているとか。



それでは、ソシャゲはやめとけ!という理由を述べていきたいと思います。

 

まず、なんといっても課金要素(ガチャ)です。好きなことに金を使って何が悪い、という意見がありそうですが、ガチャの何が悪質なのかを考えていきたいと思います。

 
 
・必要なコストが不確定

 
ある作品を観たいと思い、映画館でチケットを購入したとしましょう。

 
そこで「どの映画が観られるかは抽選の結果次第」と言われたら、どうしますか?


ありえませんよね。

自分が見たいものをなぜ確実に観れないのか!?と怒りますよね。


ソシャゲをサービス業の一環として捉えた場合、このありえないことをしているのがガチャなのです。


望む結果を得るために必要なコストが不確定。これはもはやギャンブルですよね。

 

 

・手元に残らない

 

ギャンブル性があるという点では、トレーディングカードの収集やくじびき等も同類といえますが、運よく求めるモノを獲得できた場合、カードや賞品が手元に残ります。

 
勿論、それらの所有権はあなたに有ります。

 
それに対して、ガチャで獲得できるものは所有権の無い電子データです。サービスが終了すれば、それを利用する手段すら無くなってしまう代物なのです。

 
電子書籍も所有権の無いデータを有償で購入することになりますが、こちらはあるサービスが終了した場合、その情報を別の業者が引き取る仕組みが慣例化されています。



それでもまだ、課金しますか?

 

 


 

次に、自分は課金していないから大丈夫!という人もいると思いますが、本当にそうでしょうか?


金銭面を抜きにして、ソシャゲの問題点を考えていきたいます。

 

 

・時と場所を選ぶか

 
例えば、趣味として挙げられることも多いスポーツは、基本的に活動時間が日中帯になり、自宅内ではできない場合が多く、さらに競技よっては一定数の人数が集まらなければできません。

 
そもそも、スポーツは多かれ少なかれ体力を必要とするので、無制限に続けることは不可能です。


一方ソシャゲは、いつでも、どこでも、1人でも遊べてしまいます。時と場所を全く選びません。その上、ゲームをするという行為そのものは体力を必要としないので、何時間でもプレイ可能。

 
つまり、それだけ制限事項が無いということは、日常生活との線引きが難しくなるということを意味しています。

 

 


・終わりがあるか

 
読書も時と場所を選ばない趣味だと思いますが、あまり中毒性が問題視されることはありません。その理由は、「終わりがある」ということでしょう。


どんなに長い物語もいつかは完結します。どれだけ熱中したとしても、コンテンツ自体に終わりが設定されているため、そのタイミングで区切りをつけることができます。

 
かたやソシャゲは、基本的には終わりというものはありません(配信終了を除く)イベントという名の下で、プレーヤーは次から次にやることを与えられます。


言い換えれば、自分の意思で終わらせない限り、誰も終わりを用意してはくれない、ということです。

 
ギャンブル性、所有できない、時と場所を選ばない、エンドレス。


こんな中毒的な仕組みを生み出したゲーム業界は、ある意味凄いと思います・・・ここまでくると、もはや電子ドラッグですね。

 

それでもまだ、ソシャゲを続けますか?



どうしてもやりたい方は、金を掛けずに、暇つぶし程度にプレイすれば被害は少ないのではないでしょうか。